
江戸時代、寛文3年の大干ばつを機に、山下助左衛門をはじめ五人の庄屋が筑後川が流れる大石地区に堰を造り、 掘割を掘って水を引く開削工事を久留米藩に申し出たが、筑後川を利用した用水路開削工事は難事業であるため、 藩からの許可はなかなか下らなかった。五人の庄屋は失敗したら処刑になる覚悟で請願書を提出し、 この難工事に着手して寛文4年3月完成に至った。
この偉業をたたえて五人の庄屋を祀ったのが長野水神社(五霊社)で、 4月8日の春の大祭には、小学生による「浦安の舞」が奉納され、 露店も出店し、 五庄屋の恩恵を受けている多くの人々が参拝に訪れます。長野水神社は桜の名所で、桜の時期は花見客でにぎわいます。