小椎尾神社旧神像敷板 最終更新日:2011年2月22日 印刷 元久の頃(1205頃)、時の将軍源頼朝の寵愛をうけていた丹後局は、将軍の死後身の危険をさけるため、その兄比企判能員の依頼を受けた越生越前守広斉に伴われて鹿児島の坊之津に下り、その後八代を経てこの地に落ちのびて来たといわれ、広斉は東山(現在の烏岳)に東山城を築いてこの地方を治め、またこの小椎尾神社も勧請されたと伝えられている。