この建物は、うきは市吉井町の重厚な町並みを形成した土蔵造りのなかでも、完成度の高い代表的な居蔵家のひとつです。
吉井は精蝋、酒造、菜種の製油など農産物の加工品を製造、販売することによって莫大な富を得ました。また、有馬藩の城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿場町として大いににぎわいました。やがて吉井の町並みは江戸末期から明治にかけて大規模な火災に見舞われることになります。そこで商家や地主は競って火災に耐えられるとともに富を誇示するような豪勢な建築物を建てるようになりました。道路に面した主屋を見ると、漆喰が塗られた壁、瓦屋根、軒の裏までも漆喰で塗り込められています。また、2階の窓は鉄製の扉によって覆われており、外部から延焼しにくい構造になっています。
幕末から明治、大正と繁栄をみせた土蔵造りの吉井の町並みも、第2次大戦後の経済・社会変動の中で、その多くが失われていきました。しかし、幸運にもこの建物は、関係者の理解に助けられて破却を免れることができました。
この「居蔵の館」は、明治末期に建てられ、大正初期に改築されたもので、精蝋業で財をなした大地主の分家として銀行経営に携わっていた当主一家が移り住んだものです。
戦後、しばらく空き家になって荒れていましたが、平成8年度に国土交通省街並み環境整備事業により、土地、建物の購入及び保存修理事業を実施し、広く見学者に公開することとなりました。
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